駿府・静岡の歴史散歩

静岡商工会議所報掲載記事。「小和田哲男さん/駿府と今川氏」「徳川家康公と駿府」「富士山と静岡の人々」「德川恒孝さん/駿府静岡と私」ほか

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

駿府静岡と私48 新しい静岡の姿

日本平ホテルから清水港の夜景と富士山を望む 駿府静岡と私48 新しい静岡の姿 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 新しい年を迎えました。 新しい年が 日本にとって、 また静岡に取って 明るい元気の良い年になってくれることを 心から祈っています。 昨年…

駿府静岡と私47 静岡の進路と課題3

驛前 松乃鮨「静岡にぎり」 http://ajinamise.eshizuoka.jp/e1884067.html 駿府静岡と私47 静岡の進路と課題3 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 前の二つの号で オランダとドイツの話をしましたが、 この二つの国は とても地方自治の力が 強い国です。 …

駿府静岡と私46 静岡の進路と課題2

2012年4月14日に開通した新東名高速道路 静岡SA付近 駿府静岡と私46 静岡の進路と課題2 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 今回は ドイツでの御話をします。 昨年(2011)末、 日独修好通商条約150年を記念する 展覧会がドイツ中部の都市…

駿府静岡と私45 静岡の進路と課題1

駿河湾上空から静岡市と富士山を望む 写真提供:静岡市 撮影:2008年2月18日 駿府静岡と私45 静岡の進路と課題1 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 東日本大震災から もう1年と2カ月が過ぎました。 日本は 大震災の痛ましい犠牲者への鎮魂の祈…

駿府静岡と私44 ヨーロッパの市電

昭和27年(1952)12月、静岡市役所前を走る路面電車 旧静岡市では昭和37年(1962)、旧清水市内では昭和50年(1975)に廃止 写真撮影:海野幸正さん 駿府静岡と私44 ヨーロッパの市電 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 昨年(2011)の春…

駿府静岡と私43 生き生きとした都市を支えるもの

呉服町通り 静岡市葵区 2012年9月撮影 駿府静岡と私43 生き生きとした都市を支えるもの 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 少し前の事になりますが、 久し振りで 日本海に面した美しい城下町を 訪れる機会が有りました。 戦災を免れ、 古い町並みが…

駿府静岡と私42 オリンピック

ロンドン市のオリンピックパーク 左手前がオリンピックスタジアム 写真提供:共同通信社 駿府静岡と私42 オリンピック 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 4年に一度の恒例ですが、 皆様御同様に 今年(2012)の夏も オリンピックのテレビ観戦を 随分楽…

駿府静岡と私41 御正月

昭和32年(1957)1月1日の静岡駅前バス停 行き交う年始まわりの人々 撮影:海野幸正さん 駿府静岡と私41 御正月 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 今年(2013)のお正月は 穏やかな良い天気に恵まれて、 私達老夫婦には とても良い正月でした。 …

駿府静岡と私40 家康公と静岡

静岡市駿河区丸子の朝鮮岩から 駿府城公園と富士山を望む 駿府静岡と私40 家康公と静岡 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 長い間連載して参りました 家康公の御事跡に関するコラムも、 家康公没後四百年の大祭の年を終えて、 今号で終了する事となりまし…

駿府静岡と私39 家康公の「和」の心

駿府城二ノ丸東御門・巽櫓 駿府静岡と私39 家康公の「和」の心 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 家康公が その長い戦いの人生の どの時点で 「日本に戦争の無い平和な時代をもたらすこと」 を御自分の使命 と感じられるようになったのか は解りませんが…

駿府静岡と私38 捨てるモノの無い世界

日本橋 『江戸名所図会』天保5年(1834)刊行 挿絵は長谷川雪旦 駿府静岡と私38 捨てるモノの無い世界 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 江戸時代の物流は、 ほとんどが舟で 行われていました。 利根川の水運は 巨大な動脈で、 現在の 東名高速道路と…

駿府静岡と私37 寛政の改革とフランス革命

天明飢饉之図 所蔵:福島県会津美里町教育委員会 会津地方では、天明3年(1783)の飢饉がひどく、 たくさんの人が餓死しました。 駿府静岡と私37 寛政の改革とフランス革命 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 世界の歴史に 重大な影響を与えた 「フラ…

駿府静岡と私36 金の掛からない楽しみ

左:歌川広重「糀町一丁目山王祭ねり込み」 右:歌川広重「飛鳥山北の眺望」 いずれも『名所江戸百景』安政3年(1856)改印より。 駿府静岡と私36 金の掛からない楽しみ 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 家康公・秀忠公・家光公 という将軍家の流れ…

駿府静岡と私35 天変地異と吉宗公

葛飾北斎「宝永山出現」 『富嶽百景』天保4年(1834)発刊より。 宝永4年(1707)11月23日の巳の刻(午前10時)、 富士山は鳴動して南東斜面から噴火した。 天地は暗闇となり、火口から軽石を飛ばした。 噴煙は12月8日夜まで及んで鎮静し…

駿府静岡と私34 大衆社会が作った江戸文化

十返舎一九作・画「東海道中膝栗毛発端」 文化11年(1814) 駿府で武家の子として生まれた一九は、 駿府町奉行とともに大坂へ上り、浄瑠璃を執筆。 江戸へ移り、黄表紙作品を発表。 滑稽本「東海道中膝栗毛」は読者の熱狂的な支持を得た。 駿府静岡と私…

駿府静岡と私33 華やぐ江戸の文化

静岡市の芭蕉句碑 左「雲霧の暫時百景をつくしけり」貞亨2年 (1685) 発句 ・久能寺(現在の鉄舟寺)観音堂前に天保10年(1839)建立 中「駿河路やはなたちばなも茶のにほひ」元禄7年(1694) 発句 ・清水寺に明和7年(1770)建立 右「梅わかな…

駿府静岡と私32 江戸の大火と森林資源

駿府城模型 寛永12年の天守閣焼失後の姿を再現 駿府も火災が多かった。 駿府城も慶長12年(1607)に完成したばかりの天守閣や御殿が焼失。 3年後に金属瓦を使った天守閣が完成。 寛永12年(1635)、城下の火事が延焼し、駿府城は焼失。 3年後に…

駿府静岡と私31 厳正、公平な江戸時代の裁判

武家諸法度(草稿)部分 所蔵:金地院 崇伝が起草した自筆の草稿で、 元和2年に改訂されたときのもの。 武家諸法度は、 将軍の代替わりごとに発布された。 1 文武の教養を高めること。平和でも乱世を忘れず修練の必要がある。 2 酒食におぼれてはならない…

駿府静岡と私30 寺子屋教育で識字率向上

今川状 所蔵:早稲田大学図書館 今川状は、今川貞世(出家して了俊)が、 弟・仲秋の遠江での政治が悪いことを案じ、 為政者としての心得二十三カ条を述べた指南書。 江戸時代、寺小屋の教科書として使われた。 駿府静岡と私30 寺子屋教育で識字率向上 德…

駿府静岡と私29 武士の教育は人格教育

府中(静岡)学問所 江戸城の無血開城後、 駿府に移封された徳川家は、 府中藩の人材を養成するため、 駿府城に府中学問所を開設。 昌平坂学問所などの教授が教えたが、 1872年に廃校。 駿府静岡と私29 武士の教育は人格教育 德川宗家第18代当主 德川…

駿府静岡と私28 小さな政府と民間の力

浮月楼 徳川慶喜公ゆかりの池泉回遊式庭園 浮月楼の敷地は、駿河の天領支配の代官屋敷があった場所。 その後、明治2年(1869)1月16日に渋沢栄一が設立した商法会所の事務所となり、 同年10月からは謹慎が解けた最後の将軍・徳川慶喜公の屋敷となり…

駿府静岡と私27 街道の整備と文化の交流

駿府城下行列図 所蔵:千葉市美術館 屏風の左隻には、左上に浅間神社、中央上に駿府城天守、右上に富士山が描かれている。 庶民が土下座をしていないことから、参勤交代の制度が始まる前に描かれた作品と考えられている。 駿府静岡と私27 街道の整備と文化…

駿府静岡と私26 治水と農業生産力の向上

薩摩土手(静岡市葵区井宮町) 賤機山西麓の妙見下から弥勒・中野新田に至る 長さ4.3km、高さ5.5mの土手の築造で、 駿府城下町は安倍川の水害から守られた。 駿府静岡と私26 治水と農業生産力の向上 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 戦国時代末期…

駿府静岡と私25 江戸時代の遺伝子

静岡市指定文化財「駿府鳥瞰図」土佐光成作 18世紀初頭(1707年噴火の宝永山を描写) 原本所蔵:駿府博物館(公益財団法人 静岡新聞・静岡放送文化福祉事業団) 家康没後、駿府城天守閣は焼失し、人口は15万人から1万人に減少。 駿府静岡と私25 江戸…

駿府静岡と私24 忠長公と駿府の盛衰

山水釣人蒔絵提重 所蔵:清見寺 縦17.3cm×横33.97cm×28.6cm 重亀甲形提鐶附の枠内に、重箱、酒器、六角形盆、杯を納めた花見弁当。 枠の天板に苫屋に釣人・柳・楼閣山水を描いている。 駿河大納言が所持し、清見寺に寄附したもの。 駿府静岡と…

駿府静岡と私23 語り継ぐ神君の教え

久能山東照宮 神廟 家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟。 当初は小さな祠が建てられていましたが、 三代将軍・家光公によって高さ5.5mの石塔が、 家康公の遺命に従って西向きに建てられています。 駿府静岡と私23 語り継ぐ神君の教え 德川宗家第1…

駿府静岡と私22 家康公の健康法

駿府大御所時代の家康公像 駿府城本丸跡 制作:堤達男氏 駿府静岡と私22 家康公の健康法 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 家康公は 大変に健康な方でした。 75年の御生涯の記録を見ても、 殆ど「病に伏せる」と言うような記述は ありませんし、 尾張…

駿府静岡と私21 静岡の御茶

駿府お茶壺道中行列 静岡市は2002年に井川・大日峠のお茶蔵を復元し、 毎年10月末、家康公が眠る久能山東照宮まで 「駿府お茶壺道中行列」を再現しています。 駿府静岡と私21 静岡の御茶 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 家康公は 大変にお茶を …

駿府静岡と私20 家康公の薨去と鎖国

オランダ船日本渡航朱印状 所蔵:オランダ国立公文書館 縦46.5㎝×横65㎝ 左肩に家康公の朱印 「おらんだ船日本へ渡海の時、 何れの浦に着岸せしむるといえども、 相違あるべからず候。 向後、此の旨を守り、 実儀無く往来せらるべし。 いささか疎意あ…

駿府静岡と私19 家康公が夢見た貿易

洋時計 所蔵:久能山東照宮 重要文化財 スペイン国王のお抱え時計師ハンス・デ・エバロが1581年に製作し、 マニラ前総督ドン・ロドリーゴ一行の海難救助の謝礼として、 1611年にスペイン国王フェリペ三世から家康公に贈られたもの。 大英博物館によ…