駿府静岡と私43 生き生きとした都市を支えるもの
呉服町通り 静岡市葵区 2012年9月撮影
駿府静岡と私43
生き生きとした都市を支えるもの
德川宗家第18代当主 德川恒孝さん
少し前の事になりますが、
久し振りで
日本海に面した美しい城下町を
訪れる機会が有りました。
戦災を免れ、
古い町並みが残っている
その町で飲む
美味しいお酒を
楽しみにして行ったのですが、
昔からの花街の露地も
すっかり寂れて、
暗く人影もまばらで
とても寂しい街になっていました。
その町のお殿様だった
友人の案内で、
漸く気持ちの良い飲み屋に辿りついて、
元芸者さんだった女将の御酌で
楽しい夜を過ごしたのですが、
色々とその町の事を伺いました。
殿様の説明によりますと、
その美しい町が
急に寂れて来たのは、
県庁が新空港の近くに移転したことと、
旧城内にあった
その地方最大の大学が、
街からずっと離れた
新しいキャンパスに移転したことが
大きな要因だったようです。
「若い人達が居なくなると
町は寂しくなりますね。」
と女将も寂しそうでした。
仕事で各地を訪れて
強く感じることは、
いま日本に一番必要なのは、
新しい視点と発想で
地方の中核都市を
もう一度明るく、
元気なものに戻すことと、
それを実現するには
急速に進んでいる
人口の減少と高齢化という、
世界で日本が最初に直面している
大きな問題を真剣に考えることが
必要だということです。
40年前、
私達が
アメリカの田舎町に住んだ頃は、
郊外の大型高級ショッピングモールが
大繁盛でしたが、
数年前に訪れてみますと
それらは殆ど姿を消していて、
一方
駅前の個人商店やレストランの街並は
相変わらず
多くの人々が行きかって
昔の儘でした。
自動車の国アメリカでも
御老人達は
公共交通の便の良い方を選んでいる為
と思います。
いま
東京でも、
2・30年前に
遥か郊外に
主要なキャンパスを移した
有名な大学が、
揃って
明治時代からの
都心の旧校舎に
戻って来ていますが、
要すれば
電車で1時間も掛かる所では
有名校でも
学生が集まらない為です。
時代と共に
社会もどんどん変わって行きますから、
新しい町作りにも
色々な工夫が必要
と思いますが、
矢張り
若者達が
元気に参加してくれることが
とても大事なことと思います。
次号は
ヨーロッパの街々で感じたことを
御紹介したいと思います。
※この記事は、静岡商工会議所報2012年10月号に掲載しました。