駿府・静岡の歴史散歩

静岡商工会議所報掲載記事。「小和田哲男さん/駿府と今川氏」「徳川家康公と駿府」「富士山と静岡の人々」「德川恒孝さん/駿府静岡と私」ほか

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

駿府静岡と私18 家康公の日朝国交回復

慶長十二年通信使三使詩稿懸板 所蔵:清見寺 静岡県指定文化財 駿府城で家康公と面談した朝鮮通信使の正使・呂祐吉、副使・慶暹、従事官・丁好寛の三使が 清見寺の美しさを讃えた詩稿を扁額にしたもの。 逢島茫々落日愁/海雲飛冬白鷗洲 呂祐吉 屋後瑤洋泉九…

駿府静岡と私17 文禄・慶長の役の悲惨

渡辺延一筆「加藤清正朝鮮ヨリ富士ヲ望ム」(明治26年) 幕末以降、攘夷・異国退治の風潮が高まると、 朝鮮の清州浦から富士山を望む加藤清正の錦絵が描かれた。 駿府静岡と私17 文禄・慶長の役の悲惨 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 江戸時代に入る前に…

駿府静岡と私16 家康公が広めた出版文化

駿河版『群書治要』 収蔵:静岡県立中央図書館『葵文庫』 元和2年(1616)5月完成。 唐の名臣が勅命を奉じて多くの古典から政治の手本となる部分を抜粋して編纂したもので、 日本の為政者にも大きな影響を与えた。 駿府静岡と私16 家康公が広めた出版…

駿府静岡と私15 家康公の人材登用法

徳川慶喜公書「東照宮遺訓」 所蔵:茨城県立歴史館 人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし 心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思へ 勝つ事ばかり知りて負くる事を知ら…

駿府静岡と私14 将軍職を秀忠に譲り、駿府へ

渡辺重明氏「在りし日の駿府城 慶長13年(1608)頃」 画像提供:駿府城を愛する会 家康公は、天正期に築いたニノ丸までの城を三ノ丸まで拡張し、全面的に修復して、 大御所時代の駿府城を築いた。 富士山を借景に、天下人のシンボルとしての美を追求し、…

駿府静岡と私13 五ヵ国の領主として駿府へ

浜松城 写真提供:浜松観光コンベンションビューロー 家康公は元亀元年(1570)、岡崎城を長男・信康に譲り、 浜松城に居を移し、29歳から45歳までの壮年期の拠点とした。 駿府静岡と私13 五ヵ国の領主として駿府へ 德川宗家第18代当主 德川恒孝さ…

駿府静岡と私12 戦国大名となった家康公

大樹寺山門 写真提供:岡崎市 松平家、徳川将軍家の菩提寺。 文明7年(1475)、松平家四代親忠により勢誉愚底上人が開山。 松平家八代の墓、歴代将軍の位牌、家康公73歳の時の木像などが祀られている。 駿府静岡と私12 戦国大名となった家康公 德川宗…

駿府静岡と私11 家康公の今川家人質時代

臨済寺 賤機山の南麓に位置し、雪斎長老が妙心寺の大休和尚を招いて開山とした禅宗寺院。 幼い家康公が雪斎を師として学んだと伝えられる。 駿府静岡と私11 家康公の今川家人質時代 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 天文18年(1549)、 家康公の…

駿府静岡と私10 松平家八代と家康公

松平太郎左衛門親氏像 写真提供:松平観光協会 松平郷園地(豊田市松平町)には、領内を巡視する親氏像と7対の石柱が1993年に建てられた。 駿府静岡と私10 松平家八代と家康公 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 松平家は 三河松平郷(現豊田市)を…

駿府静岡と私9 家康公四百回忌にあたって

久能山東照宮・拝殿(国宝) 徳川家康公が久能山に神葬され、東照宮にお祀りされてより四百年を迎えました。 駿府静岡と私9 家康公四百回忌にあたって 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 今年は日本各地で 「家康公没後四百年記念」の行事が 盛大に行われて…

駿府静岡と私8 いまに活きる戦国の遺訓

岡崎城天守 写真提供:岡崎市 岡崎城は、家康公の祖父・松平清康公が奪取し、改修拡張整備。 家康公は岡崎城で誕生。 駿府静岡と私8 いまに活きる戦国の遺訓 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 戦国時代は、 それまでの日本に連綿として存在してきた 権威…

駿府静岡と私7 パクス・トクガワーナ

将軍綱吉の御前で謁見する図(ケンペル『日本史』より) 駿府静岡と私7 パクス・トクガワーナ 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 私は1971年から75年まで、 日本郵船のニューヨーク支店に 勤務しました。 ある日、 ジャパン・ソサエティの会合で、 か…

駿府静岡と私6 家康公と駿府3

狩野探幽が「東照社縁起絵巻」に描いた駿府城天守 駿府静岡と私6 家康公と駿府3 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 家康公が 次に駿府を拠点とされたのは 少年時代から20年以上経った 43歳になられた時です。 信長公との連合で 甲斐武田家を滅ぼした…

駿府静岡と私5 家康公と駿府2

狩野探幽「東照社縁起絵巻 巻二 駿河花見」 寛永17年(1640) 日光東照宮 春、家康公は、美しく着飾った人々を連れて、 駿府城の西南にある景勝地・志豆機山(しずはたやま)に花見に出かけられた。 桜花の下で、人々は詩歌を吟じ、宴を楽しんだ。 やがて…

駿府静岡と私4 家康公と駿府1

臨済寺に復元されている竹千代手習いの間(撮影:水野茂さん) 駿府静岡と私4 家康公と駿府1 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 長く続いた戦国時代の 最後を飾った 信長公、 秀吉公、 家康公 の三人の個性については、 「鳴かなくば殺してしまえ杜鵑(ホ…

駿府静岡と私3 外国人の見た家康公

東照大権現像 所蔵:久能山東照宮博物館 駿府静岡と私3 外国人の見た家康公 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 私の祖父であり養父である 徳川家正(徳川家17代)は 明治17年の生まれですから、 まだ回りにいる御家来達は 旧幕臣の方々で、 大変厳し躾…

駿府静岡と私2 駿河国の首都駿府・静岡

南蛮船駿河湾来航図屏風 所蔵:九州国立博物館 慶長12年(1607)、清見寺に逗留していた朝鮮通信使一行が、 駿河湾に停泊していた南蛮船についての記録を残しており、 本図は、その様子を描いたものと推定されています。 駿府静岡と私2 駿河国の首都駿…

駿府静岡と私1 静岡の想い出

久能山東照宮から久能海岸と駿河湾を望む(撮影:水野茂さん) 駿府静岡と私1 静岡の想い出 德川宗家第18代当主 德川恒孝さん 私が 祖父であり養父であった 先代の德川家正に連れられて 静岡を訪れたのは、 昭和34年(1959年)の4月、 東照宮例大祭…

富士山と静岡の人々12 清水次郎長の富士山麓開墾

清水次郎長像(制作:堤達男氏、梅蔭禅寺:静岡市清水区南岡町、入山9時~16時、300円) 国登録有形文化財 清水次郎長生家(静岡市清水区美濃輪町、開館10時~16時、火曜休館、無料) 2017年7月8日にリニューアル・オープンし、2018年3月2…

富士山と静岡の人々11 どこまでも見える富士山 富岳遠望奇譚の言説

渡辺延一(のぶかず)筆「加藤清正朝鮮ヨリ富士ヲ望ム」(明治26年、名古屋市博物館蔵) 富士山と静岡の人々11 どこまでも見える富士山 富岳遠望奇譚の言説 イリノイ大学名誉教授 ロナルド・トビさん 富士山は、 日本の最高峰であり、 また「日本一」・「…

富士山と静岡の人々10 北斎が描いた富士山

葛飾北斎 冨嶽三十六景「凱風快晴」(1831~1833年頃、木版多色摺、25.6×37.7cm、個人蔵) 田貫湖からの富士山 葛飾北斎 冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(1831~1833年頃、木版多色摺、25.6×37.7cm、個人蔵) 富士山と静岡の人々…

富士山と静岡の人々9 司馬江漢が描いた富士山

司馬江漢筆「駿河湾富士遠望図」(寛政11年[1799]、絹本油彩、36.2×100.9cm、静岡県立美術館蔵) 伝雪舟筆「富士三保清見寺図」(紙本墨画 1幅 43.2×102.0cm、永青文庫美術館蔵) 富士と三保松原、古名刹として有名な清見寺を中心とし…

富士山と静岡の人々8 ケンペルが伝えた富士山

ケンペル『日本誌』第22図:オランダ使節の行列。 1・2オランダ人と日本人のための賄方と運ばれていく炊事道具 3各藩主が差向けた二人の案内人 4行列の宰相 5オランダ使節用の換え馬 6同心 7薬箱 8勘定箪笥 9使節の乗物。四人で交替してかつぐ。…

富士山と静岡の人々7 朝鮮通信使が見た富士山

葛飾北斎「来朝の不二」。『富嶽百景』天保4年(1834)発刊より。 朝鮮通信使が最後に江戸を訪れたのは明暦元年(1764)で、北斎が4歳の時。 実際に行列を見たか不明だが、富士山を左に見ながら江戸へむかう通信使行列を描いている。 本来「清道」であ…

富士山と静岡の人々6 富士山を愛した家康の街づくり

静岡市指定文化財「駿府鳥瞰図」土佐光成作 18世紀初頭(1707年噴火の宝永山を描写) 原本所蔵:駿府博物館(公益財団法人 静岡新聞・静岡放送文化福祉事業団) 家康没後、駿府城天守閣は焼失し、人口は15万人から1万人に減少。 富嶽三十六景「江都駿河…

富士山と静岡の人々5 足利将軍の富士遊覧と今川文化

富士三保松原図屏風 (16世紀中頃、紙本金地着色・六曲一双屏風、はごろもフーズ㈱寄贈、静岡県立美術館蔵) 右隻に富士山、その右下に製塩を行う人々、 左隻から右隻にかけて三保松原と羽衣の松を配し、 左隻中央奥に清見寺、その下方に清見ケ関、左端に江…