駿府・静岡の歴史散歩

静岡商工会議所報掲載記事。「小和田哲男さん/駿府と今川氏」「徳川家康公と駿府」「富士山と静岡の人々」「德川恒孝さん/駿府静岡と私」ほか

旧幕臣と明治日本/川村清雄

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田口卯吉
 
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徳川家臣団大会2017

 
徳川みらい学会2017年第1回講演会
「徳川家臣団大会2017」を
2017年4月16日、
「日本の近代化の礎となった静岡の幕臣たち
大政奉還150周年に寄せて」
をテーマに、
しずぎんホール「ユーフォニア」で開催。
德川宗家18代当主の
德川恒孝氏のあいさつに続き、
出席した幕臣の子孫の皆様を紹介。
その後、
樋口雄彦国立歴史民俗博物館教授が
「旧幕臣と明治日本」、
落合則子東京都江戸東京博物館学芸員
「川村清雄」
について講演しました。
両氏の講演要旨は次の通り。
(文責:静岡商工会議所 企画広報室)
 
 
幕臣と明治日本
国立歴史民俗博物館教授 樋口雄彦さん
 
徳川家と幕臣たちは
歴史の表舞台から追いやられて、
歴史の教科書レベルでは、
ほとんど登場しなくなります。
 
だからといって、
彼らの歴史的な役割が
消えてしまったわけではありません。
 
負けた側になったことが
くやしくて、
がまんならなくて、
行動に出たのが
戊辰戦争でした。
 
やがて時間が経つと、
もう少し客観的に
歴史を見直すようになりました。
 
その代表的な人物が
田口卯吉です。
 
田口は、
日本の歴史を
西洋の文明史観に基づいて叙述した
『日本開化小史』(明治15年刊)の末尾で、
「幕府は歴史の流れのなかで、
倒れるべくして倒れただけであって、
誰かに責任をなすりつけるべきではない」
という客観的な見方をしています。
 
田口は、
幕臣の子で、
10代前半の少年時に体験し、
静岡へ移住し、
沼津兵学校の生徒になりました。
 
明治35年、
侯爵を授けられた時の
祝賀会の講演会では
「明治政府の建設的事業において、
陸軍、
海軍、
他の省庁、
大学
で力を発揮して
国づくりに貢献したのは
われわれ旧幕臣たちである。
それだけの人材を
旧幕府が輩出できたのは、
慶喜公が
維新の時に、
戦争をして人を殺さず、
朝廷に平和に大政を奉還し、
静岡学問所や沼津兵学校をつくって
子弟を教育することに
意を注いだからだ」
と自信をもって語っています。
 
明治30年は、
名誉を回復し、
静岡から東京に居を移し、
幕臣
近代国家を建設する一員として働き、
自信を取り戻した時期です。
 
この年の
幕臣たちの親睦会
「同方会」
の名簿を見ると、
爵位を与えられた者、
軍人、
文官、
政治家、
実業家、
学者、
医者、
文人・趣味人、
クリスチャン
として名を残した人が
並んでいます。
 
彼らは、
幕末に
西洋の新しい技術や知識を身に付けて、
その能力を評価された、
新しいタイプの人材でしたが、
一度は新政府軍と戦ったり、
静岡へ移住する道を選んだ
人たちでした。
 
彼らが幅広い分野で活躍し、
日本の近代化を
様々な場面から下支えすることに、
幕臣の役割がありました。
 
 
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        江戸城明渡の帰途
 
川村清雄
海舟が愛し、家達が慕った洋画家
東京都江戸東京博物館学芸員 落合則子さん
 
川村清雄は、
嘉永5年(1852)、
ペリーが来航する1年前、
将軍の目となり耳となる
御庭番の家に生まれました。
 
12歳の時、
幕府の開成所画学局で
高橋由一らから
西洋画法を学びました。
 
17歳の時、
明治維新となり、
人生が変わりました。
 
6歳の徳川家達公に従って
静岡へ移り、
親しく仕えました。
 
明治4年(1871)、
徳川家留学生として
同僚4人とともに渡米。
 
山正一の勧めで
絵を専門に学び、
その後、
パリ、ヴェネツィアへ渡り、
通算10年間、
西洋で絵を学びました。
 
ヴェネツィアの美術学校では、
2年目の学年末試験で
1等を受賞する天才ぶりを
発揮しました。
 
当時の西洋画壇は
ジャポニズム盛で、
外国人の画家たちから、
日本の意匠を建てるように言われ、
それが
清雄の画家としての人生を
方向づけました。
 
この頃、
英国に留学した
15歳の家達公
との再会を果たしました。
 
清雄が
明治14年に帰国すると、
海舟は
邸内に清雄の画室を
建てました。
 
徳川家から
歴代将軍像の注文を受け、
5枚が完成。
 
明治32年に
海舟が亡くなると
「かたみの直垂」を描き、
終生傍らに置きました。
 
江戸城明渡の帰途」は、
江戸城石垣を背景にした勝海舟
後ろには
刀を持って怒りの形相の幕府の陸軍士官と
それを制止する人物、
海舟の足元には
葵の御紋が入った瓦、松の実、松葉
が描かれています。
 
松は
繁栄の象徴で、
徳川の世の終焉をあらわしています。
 
この絵は、
いう難事業を成し遂げた
悟ある精神と緊張感に満ちた
歴史の一瞬を
象徴的に描いた
「歴史画」です。
 
 
※この記事は、静岡商工会議所報2017年6月号に掲載しました。