駿府静岡と私36 金の掛からない楽しみ
いずれも『名所江戸百景』安政3年(1856)改印より。
駿府静岡と私36
金の掛からない楽しみ
德川宗家第18代当主 德川恒孝さん
家康公・秀忠公・家光公
という将軍家の流れが
七代の家継公の早世で絶えたあと、
家康公の十男・頼宣公を祖とする
紀州徳川家の五代藩主・吉宗公が
亨保元年(1716)、
将軍職を継ぎました。
30年に及ぶ
吉宗公の治世は
「亨保の改革」と呼ばれ、
過熱した市場経済を引き締め、
幕府財政の建て直しと
民政に
次々と新しい手法を取り入れ、
江戸時代のあり方を
新しいステージに進めた
時代でした。
吉宗公は
厳しい「質素倹約」の方針を
打ち出す一方、
社会全体が
暗くなることに対して、
色々な手を打ちました。
それまで将軍や大名たちの
「鷹狩」の場であった
品川の御殿山や
王子の飛鳥山、
中野の桃園に
江戸城内の
桜や桃の木を移植して
日本で初めての
「公園」をつくります。
江戸っ子の大好きな、
年に一度の無礼講
「お花見」の始まりです。
後に「天下祭り」と呼ばれて
江戸市民を熱狂させた
神田明神や
祭礼にも
力を入れます。
この「天下祭り」の
山車行列は
江戸城内に入って
将軍の御覧がありました。
この時だけは
幕府も
惜しみなく金をかけて
「祭り」を盛り立てています。
さらに
小石川の養生所がつくられ、
無料の診察が行われるようになり、
いろは四十七組の町火消し制度も
つくられました。
江戸の市民たちも、
いつまでも
暗いだけではありません。
つぎつぎと
「金の掛からない」楽しみが
生まれてきました。
本の出版も
盛んです。
菊や朝顔の
新種づくりなどが
ブームになります。
川柳や付け句の
傑作集が出版されて
ブームが起こり、
夢中になって
洒落のめした川柳作りに
頭をひねります。
時が流れるにつれて、
人々には
「質素倹約」の生活が
あたりまえのこととなり、
寄席が立ち並び、
蕎麦・天ぷら・寿司などの
値段の安い「ファスト・フード」の
屋台が並ぶようになり、
縁台将棋に夢中になり、
朝は
日の出とともに
起き、
夜は
日の入りとともに
眠りに入ります。
御隠居さんは
早朝から
菊や朝顔づくりに精を出し、
その横を
仕事に向かう人たちが
急ぎ足で通りすぎ、
お店の人は、
お店の前を掃き清めることで
一日が
日の出とともに
始まったのです。
日本は
世界最初の
「サマータイム」制を
本格的に実行した国でした。
廃品を回収し、
再利用するシステムが
社会全体に行き渡り、
「捨てるもののない」社会が
生まれてきました。
※この記事は、静岡商工会議所報2015年2月号に掲載しました。